コラム

【第1回】弱みがわかっているのが古典の強み

ビジネス雑誌を読んでいると、時折、
 「古典を読もう」
 「古典に学ぼう」
 といった特集を見かけることがあります。

私自身が専門としている『論語』や『孫子』といった書籍も、当然そんな「古典」のなかに入ってくるわけですが、しかし、なぜ古典とは学ばれるべきものなのでしょうか。

HPを開設した記念コラムの最初として、こんな素朴で、基本的な問いを考えてみたいと思います。

まず一般的に、その理由としてよく挙げられるのが、次のような指摘です。

 

「時の試練に耐えた、素晴らしい教えの数々だからこそ、読む価値があるんだよ」

 

確かに、最近の出版事情を考えてみても、出版された本の九割以上が十年残らないといわれている現状があります。一方で古典の数々は千年以上も生き残ってきたわけですから、内容もその分、素晴らしいだろうと考えるのは、当然のことかもしれません。

でも、決してそれだけではない、と筆者自身は考えています。つまり――

 

「古典とは、歴史の荒波にもまれるなかで、その強みと弱み――特に弱みが浮き彫りになっているからこそ、学ばれるべき価値がある」

 

先ほど挙げた『論語』や『孫子』といった古典も、それを活かして見事な成果をあげた例もありますが、それを使ったことが原因で逆に失敗したり、敗北したり、ということが現実に起こっているのです。

たとえば、『孫子』でいえば、ソフトバンクの孫正義さんや、サッカー監督のフェリペ・スコラーリ(ワールドカップ本戦11連勝の金字塔を打ち立てた)、巨人や西武の黄金時代をつくった森祇晶氏など、その戦略を座右とした成功者を現代においても生みだしています。

ところがその一方で、『孫子』の著者といわれる孫武という武将の仕えた呉という国は、「呉越同舟」「臥薪嘗胆」といった四字熟語で有名な呉越の戦いに敗れて、紀元前473年に滅んでもいます。これは、『孫子』の戦略が想定していない状況に直面したがための悲劇、と筆者は考えています。

つまり、戦略にせよ、理論にせよ、使うべき状況と使い方がある、ということなんですね。

そして、古典と呼ばれる書籍は、長い歴史の荒波にもまれて、このような成功事例と失敗事例――つまり、その考え方の強みと弱み、適用すべき範囲が炙り出されているところがあります。

だからこそ、現代の我々にとっては、

「強みだけを活かすにはどうすればよいか」

「弱みをうまく消しながら使っていくには、どんな手があるのか」

と考えながら、活用していけるため、使いやすい道具になっている面があるのです。

一方、現代の最新の理論というのは、こうした「弱み」がわかっていないまま、華々しく現実世界に登場し、目も当てられない酷い結果を生んでしまうことがあります。
昨今の金融恐慌で評判の落とした、一部の金融工学の考え方などはその端的な例でしょうし、少し前にこんなこともありました。

一九九〇年代。アメリカ企業で大流行りしているということで、多くの日本企業が「成果主義」型人事制度を導入しました。ところが実際に運用してみると、さまざまな問題が発覚、知り合いの大学教授にいわせれば、

「成果主義だけで成功した企業は一つもない」

という惨憺たる結果になってしまったのです。どんなに外見が立派に見える理論も、現実に当てはめてみると必ず齟齬が出てきます。そのマイナス面がわからないまま活用するのは、かなり危険なことなんですね。

しかし、逆から言えば、その弱みがわかってきたからこそ「成果主義」も使い様という話になってきたともいえるのですが……

「弱みがわかっているのが古典の強み」

というと何だか逆説的な表現にも聞こえてしまいますが、しかし確かにこれが、古典を読むべき理由でもあるのです。